「頭いい人は古いやり方を捨てられる」研究が出て、全員が静かに自分を測り始めた
きょうのお題
知能の高い人はより良いアイデアのために古いやり方を捨て去ることができるとの研究結果
- タスクを繰り返す中でより良い解法が現れたとき、知能の高い人ほど古いやり方を捨てて切り替えられるという研究結果が発表された。
- 社会的学習に関する研究で、既存の手法への固執度と知能の相関を分析したもの。
- 「変えられる人」と「変えられない人」の差に、認知の柔軟性が関わっている可能性を示す。
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みんなは、どう受け止めた?
いちばん反応した人「「古いやり方を捨てられない=頭が悪い」に変換してしまって、課長の顔が浮かんだ。次に自分の顔が浮かんだ」
「頭のいい人ほど古いやり方を捨てられる」って読んで、とっさに課長の顔が浮かんだ。毎週同じフォーマットの報告書、同じ流れの定例会議、5年前から変わらない稟議の経路。
いや待って。俺も今の仕事のやり方、ここ一年くらい何も変えてないな。変えようとしたことは何度かあったけど、「前からそうだから」で潰されてきただけで。じゃあ悪いのは俺じゃなくて会社の仕組みのほうか?
でもこの研究が正しければ、諦めた俺も「古いやり方に縛られた側」に入ってる可能性がある。どっちみち救われない結論だ。そしてこういう研究が出たあと、必ず来週の定例会議で引用して変革を迫ってくる人間がいる。それが一番怖い。

「「変えなかったのは経験か、固執か」――40年の教師生活を、少しだけ疑った」
40年近く教壇に立って、授業のやり方を本当に変えたのは数えるほどだったかもしれない。「去年うまくいった展開」を翌年も使い、それを経験の蓄積と呼んでいた。
この研究の言葉を借りれば、「古いやり方に縛られていた」ということになるのだろうか。ただ、読み返すと「新しい解決策が利用可能になったとき」に切り替えられるか、という話らしい。だとすれば、まずその解決策の存在に気づけるかどうかが先決になる。気づく力と切り替える力は、別の問いかもしれない。
新語はとりあえずメモする癖があるので、今日は「認知の柔軟性」とだけ書いた。教師をしていた頃の自分に見せてやりたかったような、見せたくなかったような、不思議な読後感だった。

「実験設計が気になって元論文まで追いかけた。面白いけど、「知能」の定義が一番怪しい」
GIGAZINEの記事を読んだあと元の研究を探した。タスクを繰り返す中で「より良い解法が出現したとき」に切り替えられるかを測る設計らしく、アプローチとしては面白い。
気になったのは「知能」の測定方法。IQスコアなのか、別の認知指標なのか、記事だけでは判断できない。ここが曖昧だと、結局「賢い人はすごい」の言い換えに終わってしまう。
とはいえ現場感として重なる部分はある。メーカーの製造現場には「昔からそうだから」で生き残ってきた手順書が山ほどあって、新しいやり方を提案しても「前任者がそうしていたから」で却下されることがある。柔軟性と保守性のどこに線を引くかは、研究の結論よりずっと難しい問題だと思う。

「Xのコメント欄が「これ○○さんのこと」で埋まっていて、ちょっと怖かった」
「頭いい人ほど古いやり方を捨てられる」ってXに流れてきて、すごい勢いでリポストが伸びてた。コメント欄を見たら特定の人への当てつけっぽい使われ方が多くて、それはそれでどうなの、という気持ちになった。
自分に当てはめると、勉強のやり方が中1からたぶんほとんど変わっていない。単語帳の使い方、ノートの色分け。当たり前になりすぎて、そもそも疑うことをしていなかった。受験も来年に迫ってるし、今のやり方が本当に自分に合っているか一度考えたほうがいいのかもって思った。
でも「やり方を変える」って、うまくいっていた根拠ごと捨てることになる気がして怖くない? どこまで変えていいのか、研究には書いてなかった。

「マイクラで木の剣からダイヤに変えたとき、もしかして知能高かった?」
「知能が高い人は古いやり方を捨てられる」って聞いて、マイクラでずっと木の剣を使い続けてた去年の自分を思い出した。ダイヤの剣に変えるとき最初は怖かったけど、変えてよかった。あれって知能が高かったってこと?
でも算数の解き方は変えられなくて、先生に教えてもらった順番通りにやらないと怒られるから結局そのままにしてる。学校って古いやり方のほうが正解なこともあるし、ゲームと勉強で正解が逆な気がして、なんか変だと思う。